近江聖人中江藤樹

【室町・安土桃山・江戸 時代・近代】


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藤樹は「近江聖人」と尊称される先哲、今もなお私淑する人々は多い。 藤樹の実名は原、通称は与右衛門であるが、邸にあった藤の花をたいへん愛したので、誰言うとなく藤樹先生と呼ばれるようになった。

藤樹は教育者であり学者であり、ことに徳行の人である。そして藤樹と呼ばれるにふさわしい謙徳の人であった。
小川村の平凡な百姓の息子として誕生。 加藤藩に仕える祖父の後継として米子へ迎えられた。 間もなく藩主の国替えにともない大洲に移る。 そして二七歳で致仕を決意、脱藩して小川村へ帰る。 故郷では母に孝養を尽くすとともに、念願の「聖人への道」を追及し続けるかたわら、門人の教育に精進した。

藤樹は陽明学者とされているが、根本には天の思想があり、しかも温かい人間信頼の気持ちが溢れている。 まさに「村落の教師」として大きな感化をおよぼした異色の哲人である。

中江藤樹は、はじめ当時の思想・学問の主流であり官学でもあった朱子学を信奉していたが、30歳をすぎる頃より朱子学の形式主義的傾向に疑問を感じ次第に独自の学問の展開をみせ、33歳の時『性理会通』、『王竜渓語録』に接して 陽明学に近づく。更に『陽明全集』を得る(37歳)に及んで、陽明学への信奉は決定的となった。しかし、藤樹は、その後の日本陽明学派の多くがそうである ように、王陽明(1472から1528)の思想を完全に理解するには至らなかった。 陽明学は、藤樹にとって、自己の思想形成の触媒的存在であったといえよう。
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現在藤樹書院に所蔵される書「致良知」も、『大学』八条目のうち「格物致知」に対する解釈として、王陽明が「良知を致す」と行動主義的な解釈をするのに対し、藤樹は「良知に致る」とよみ、内的な精神性を求める方向を示している。

出典:あど川の文化と先人たち (平成9年 安曇川町発行)

 

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