大溝陣屋と武家屋敷

【室町・安土桃山・江戸 時代・近代】


江戸時代の陣屋は、幕府の郡代や代官の役所、大名でも城主格にあたらない者の居所、旗本の居所、大藩の重臣居所、藩の飛地領役所などさまざまな意味を含ん でいる。分部氏の場合は、前述のように、二万石という小藩であったため、大溝城の新築に及ばなかったことから陣屋の構築となったのであろう。

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分部光信の陣屋は、もちろん光信の居宅であると同時に、そこが政庁でもあって、陣屋は内濠がめぐらされ、郭内と呼ばれた。郭内の外側には武家屋敷 が配置され、それらは外濠によって囲まれていた。したがって、城主を中心とする武士団は外濠内の外部に居住し、郭内を含む外濠内を惣郭(曲輪)と呼称した のである。惣郭は東西四町余(約440m)、南北二町余の地域を占め、惣郭内には縦通りにあたる東西通に北町・中町・南町の三通りが、横の南北通りに東町 通りの路筋が設けられ、各武家の屋敷周りには樹木が植えられた。また、惣郭の東側には長屋門の形式をもつ総門が、他の箇所には西ノ門・南門・会所門がそれ ぞれ設けられて、惣郭と町人屋敷がはっきりと区別されたのであった。

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内濠内の郭内に構築された分部陣屋は、方形の構造で、東側に大溝城が付随する状態をとっていた。その陣屋の規模は、本丸が東西30間(約 54m)・南北32間、ニノ丸が東西92間(約165.6m)・南北29間、陣屋の置かれた三ノ丸は東西四六間(約82.8m)・南北60間で、四方に土 塁をめぐらし、その外側は洞海を水濠に利用した。大手側には冠木門、それ以外には水門や内門が設けられ、陣屋内部には御殿・家屋・政庁・土蔵・馬場(調練 場)・作事小屋などが配置されたのである。

陣屋内の分部侯邸 宅の家屋は、冠木門形式の建築によるもので、邸宅の入口は式台つきの玄関であった。式台は駕籠への乗降の場として設けられたもので、その場には、中世以来 の伝統である舞良戸が入れられていた。また、邸宅内には床の間や付書院が設計されており、違棚や欄間によって政庁らしさが保たれたものと思われる。邸宅全 体ぽ表と裏に区分され、表は藩主分部侯の居所として、裏は奥方・家族の日常生活の場であった。

一方、譜代家臣が集住した武家屋敷(家中)は、明治維新の廃藩によって、家臣のほとんどが大溝を離れたため、その遺構をとどめないが、分部氏入封 の元和5年(1619)当時、100石扶持の家臣であった笠井家が、わずかながら武家屋敷の一部を現存している。もちろん、破損によって消滅した部分や、 修築などによって、完全な状態とはいえないが、屋敷図面などとの比較では、ほぼ大溝藩当時の家屋といってよい。また、玄関や床の間・路地門・庭園、それに 屋敷囲いの樹木などは、当時の武家屋敷を想像させてくれるものかある。

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出典: 高島町史 昭和58年 高島町発行

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