大溝城主の交代

【室町・安土桃山・江戸 時代・近代】


信長の甥で、高島郡域を領有し、大溝城主となった信澄は、信長の「御一家の御衆」「御連枝の御衆」とも呼ばれる織田一族のなかでも有力な武将の一人であった。その信澄の活躍を『信長公記』を中心にみてみよう。

大溝築城の年の天正6年4月4日、信澄は大坂城に出向し、6月29日には兵庫・明石間、明石・高砂間の「海賊等警固」にあたる。 8月15日には、安土での相撲犬会に奉行役を勤め、11月23日は信長の惣持寺(大阪府茨木市)出向に随兵する。 そして、12月11日には、伊丹(伊丹市)への諸将の出陣にあたって郡山(奈良県)の出城在番衆を勤仕する。 翌7年4月8日は播磨国(兵庫県)へ出陣。5月27日には、信長の命によって浄厳院(蒲生郡安土町)で行われた浄土宗・法華宗の宗論(安土宗論)のため、 寺中の警固にあたる。

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そして翌8年5月7日は、安土城の諸普請終了後、直ちに佐和山城へ出向し、二年後の天正10年3月には、信長の高蓮城攻めに出陣していくのである。

高蓮城攻めが終ってのちの同年5月26日、信長の命をうけた明智光秀は、中国地方出陣のため、坂本城(大津市)から丹波の亀山城(京都府亀岡市) に入った。一方、信長も同月29日、小姓衆2、30人を従えて上洛し、四条西洞院の本能寺を宿所と定めた。 もちろん中国地方出陣のためである。その時、信澄は大坂に出向していた。 そして、信長の三男信孝が、四国征伐のため堺に到着するや、信孝に従ったが、四国出陣前の6月2日、本能寺の変が起きたのである。 明智光秀によって殺戮された信長の死報をうけた信孝は、丹羽長秀と謀って同月5日、大坂城二の丸千貫櫓にいた信澄を攻め、遂に「信澄大坂城ニテ敗死」し た。 信澄が信孝・長秀によって攻め殺されたのは、信澄が明智光秀の娘を妻にむかえていたためであって、信澄は、光秀の信長弑逆がもとでこの世を去ったのであっ た。 しかし、5ヶ年にわたる信澄の活躍を支えたものは、被官はもちろんのこと、所領であった高島郡域の農業生産(経済)力にあったことにも注意しなければなら ない。

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信澄から分部氏へ

 信澄死後の大溝城は、信澄を大坂城で攻め殺した丹羽長秀が、城主となった。 丹羽長秀は、羽柴(豊臣)秀吉とともに信長後の織田政権の維持に協力したことから、若狭国(福井県)と近江国高島・滋賀の二郡を知行することとなって大溝 城主となったが、大溝城は代官の植田重安に守らせた。 その後、長秀は秀吉とともに天正11年、賤ヶ岳(伊香郡)の合戦に勝利して越前(福井県)、若狭、加賀(石川県)半国を領有することになり、越前府中城 (武生市)主となった。 長秀移封後は、高島郡の一部が秀吉の直轄領に、一部は秀吉の家臣加藤光泰の所領となって光泰が大溝城主となった。 光泰はもと丹波国周山城(京都府北桑田郡京北町)の城主で1万7000石を領有していたが、海津城(マキノ町)、大溝城へと移るにつれ、二万石を領有し、 天正13年には大垣城(大垣市)に移封された。 加藤光泰の転封にともない、同年6月、播磨国神西郡(兵庫県神崎郡)を領有していた生駒親正が、秀吉から高島郡2万3500石を宛行われ、大溝城主となっ た。 しかしその翌年、親正が伊勢国神戸城(津市)に移されたため、再び秀吉の直轄領となって芦浦(草津市)の観音寺が代官を勤めた。

秀吉直轄領のあと、天正15年(1587)、京極高次が大溝城主となる。 高次は、妹の松丸が秀吉の側室であった関係から、天正12年に高島郡田中郷(安曇川町)の2500石が与えられ、同14年にはさらに加増された。 翌15年には、秀吉の命によって豊前国馬獄(大分県宇佐郡)の要塞を攻略した恩賞として高島郡域一万石が与えられ、大溝城に入った。 その高次も、天正18年には2万8000石を領有して八幡城(近江八幡市)主に、文禄4年(1595)には、滋賀郡に六万石を領して大津城(大津市)主と なった。 高次後の大溝城は、天正18年に織田三四郎が、三四郎のあとは再び秀吉の直轄領となり、代官吉田修理が大溝城に入って領地支配にあたった。 その後については「文禄四年岩崎掃部佐治ム、慶長八年城ヲ毀水口へ移ル、其後代官所トナル、羽鹿加左衛門預り、元和五年分部左京亮光高大溝二移ル」とあ る。 慶長8年(1603)の大溝城取り壊しについては「織田城郭絵図面」にも「甲賀郡水口江移ス、月城ノミ残ル、代官居住ス」とあって、慶長八年ころに取り壊 したのかもしれない。 分部氏は元和5年(1619)8月に伊勢国安濃郡(三重県)から光信が大封する。以後幕末まで、大溝城主は分部氏であった。

以上、織田信澄の大溝城築城以来、約40年間の城主の交替を述べたが、信長・秀吉時代はめまぐるしく城主が交替している。 高島郡域の支配拠点となった大溝城主の交替は、それが単に領主の交替のみでなく、秀吉の度々の直轄領にみられるように、高島郡域が軍事・交通、または経済 上重要な位置を占めていたからではないかと想像される。
 

出典: 高島町史 昭和58年 高島町発行

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