磯野員昌の高島入部

【室町・安土桃山・江戸 時代・近代】


浅井方では、佐和山城(彦根市)に勇猛をもって知られる磯野員昌が入り、信長勢の包囲に対して、一歩もひかぬ構えをみせ、こののち元亀2年2月ま で、同城にあって寵城を続けた。 佐和山城は、東山道(のちの中山道)のすぐ西に位置した城であっただけに、信長にとって、この員昌の奮闘は脅威であった。

元亀2年(1571)、信長は近江の制圧に全力を注ぐことになる。 懸念の一つであった佐和山城が思いもかけぬところから手中におちたのである。 浅井長政が磯野員昌に敵方内通の疑いを抱き、このため窮地に追い込まれた員昌が信長方に寝返ってしまったのである。 さっそく丹羽長秀を同城に入れるとともに、員昌には高島郡を与えるという厚遇をもって、その投降に答えている。

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高島郡はこれまで浅井氏の勢力下にあったところであるが、浅井 氏の影響が強かったればこそ、浅井方から寝返った員昌の統治が有効であったとも考えられる。 また、信長は佐和山城にこもっていた士卒をことごとく、員昌とともに高島郡にまで湖上輸送しており、毒をもって毒を制すの例え通り、多少の抵抗があったと しても、彼らをもってすれば、これを抑えられると考えていたのであろう。

員昌を寵城兵とともに高島に移すにあたっては、滋賀郡の宇佐山城にあった明智光秀がその輸送担当者となり、堅田(大津市)の地侍、および打下(現 高島市勝野)の土豪である林与次左衛門員清の協力を得て湖上を船で渡し、2月20日前後には、すべての輸送を完了している。 この時、どれくらいの船が動員されたかは明らかでないが、堅田の地侍に対しては、佐和山城の外港ともいうべき松原浦(彦根市)に100嫂を着岸させること を光秀は要請しており、林員清の分と合わせれば、かなりの船数が動員されたものと推測される。

こののち員昌は、高島郡の新庄(現高島市新旭町)に本拠を構え、以降、天正6年(1578)2月、信長の怒りをかい、この地を離れるまで高島郡を支配することとなる。

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佐和山城を手に入れ、湖北の脅威を一応とり除くことに成功した信長は、元亀2年9月、前年の戦いで浅井・朝倉方についた延暦寺を攻撃、これを完璧 なまでにたたきつぶした。 世にいう比叡山延暦寺の焼き討ちである。 美濃から近江への出入口を確保した上は、近江から京都への出入口である滋賀郡を押さえれば、近江路は完全に掌握できると信長は考えたのであろう。 滋賀郡に根強い勢力をもつ延暦寺を徹底的に滅ぼさんとしたのは、そのためであった。 延暦寺の壊滅をもって、信長の近江制圧は、その第一段階を終る。

今津町の酒波寺は、このときに織田信澄によって焼かれたという記録を残している。 事実は定かではないが、この記録は高島郡がしだいに比叡山から織田氏の勢力下に組み入れられていく様子を伝えているともいえる。

出典:高島町史(昭和58年 高島町発行)、今津町史 第二巻 近世(平成11年 今津町発行)など

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