鵜川四十八体石仏

【室町・安土桃山・江戸 時代・近代】


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明神山が琵琶湖に せまる明神崎の旧西近江路沿いの墓地に石仏群がある(鵜川)。四十八体石仏といわれるが、33体が現存する。13体は、坂本(大津市)の慈眼大師廟の傍に 移されたという『近江興地誌略』。33体の石仏は阿弥陀如来坐像で、定印を結ぶ同一の像容である。像高はそれぞれ少しの差はあるが、およそ1.5メートル 前後で丸彫りである。やや傾斜した地形に従って、東面して八列に露坐している。もと摂取庵という寺庵があったといい『同前』、その本尊と伝えられる木造阿 弥陀如来坐像が最勝寺(打下)に安置されている。伝えるところによると、六角義賢(承禎)が天文22年(1553)亡母のために造立したという『同前』。 石仏の様式の上からも、浅い彫り、衣文の平面的な彫出など、伝えられる年代と合致するといえよう。同じ様式は、玉泉寺(安曇川町田中)境内の大目如来を中 心とした阿弥陀ほかの四仏にもみられる。

六角義賢は、湖東の観音寺城に拠る近江半国の守護である。この義賢が湖西の当地をえらんで造立した事情は明らかでないが、義賢は小松の伊藤直祐に 船路の要害普請を督促しているから『伊藤家文書』、湖西の地に関係をもっていたとはいえる。亡母は呉服御前というが『光源院殿、御元服記』、その出 身・生没年等は明らかでない。あるいは湖西出身であったのかもしれない。ちなみにこの地の伝承に、湖東から遺体を舟にのせて湖をわたり、安曇川町藤江(ま た打下とも)に上げ、三田(安曇川町)の玉泉寺裏の墓地に葬ったという。遺体を遠方へ運んで非る習俗は、他にも類例のあることをきくが(西脇市)、奇習と いってよい。もっとも、この習俗は現在はみられないが、四十八体石仏がこの地に造立されたのは、この習俗と関連するものかおるかもしれない。石仏は、東面 して琵琶湖に向かって並座している。湖西の地は、観音寺城のある湖東からみると、日の入り沈む西方に当る。あるいは西方浄土往生信仰により、この地に石仏 を造立したものかと考えられる。

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四十八体石仏手前に古墳の石室が開口しており、石室内に石造十一面観音立像と石造聖観音立像が安置されている。室町時代に古墳被葬者に対する追善 として、また、この石室開口部のすぐそばを旧西近江路が通っていることから、道行く人々の安穏をいのる思いもこめられて安置されたものであろう。

 



 

出典: 高島町史 昭和58年 高島町発行

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