正倉院文書と「小川津」

【古墳・飛鳥・奈良・平安・鎌倉】


材木を伐り出す山のことを「杣(そま/杣山)」という。 都が存在した京都・奈良に近かった近江では、古くから、宮殿や寺院などの造営・維持のため、材木(当時は樽(くれ)とよばれた)を採ることを目的に、多くの杣が開発された。

正倉院文書には、造東大寺司(東大寺の造営を担当する役所)が、用材の伐採基地として各地の杣に「山作所」を設けていたことが見られ、甲賀・田上・高嶋など多くの山作所が近江にあったことが知られている。

山作所が川のそばに開設されたことから分かるように、集められた材木は筏に組まれ、川を下って「津」とよばれる集積地に集められ、奈良の都へと運ばれていった。

天平宝字6年(762)の文書には、高嶋山作所の中に「小川津」という津があったこ
とが記されています。 高島市には、朽木小川と安曇川町上小・下小川という2つの「小川」がつく地名があるが、その所在地についてはこれらをあてた2説があり、いまだ確定されて いない。 朽木内説では、高嶋山作所を安曇川上流の朽木杣内とみるのに対して、安曇川町内説では、鴨川上流の三尾杣(高島市拝戸)としている。

zaimokuunpan.jpg

古代・中世では、港湾または港町にあたる言葉として、「津」「湊」「泊」が使われていた。 「津」の語源は「わたしば・ふなつき」で、(1)沿海岸の湾・入江・瀬戸に立地するもの、(2)内海の内岸に位置するもの、(3)河口から湖った河川内に 立地するものがあった。 安曇川町内説を有力とする根拠として、かつては安曇川町上小川・下小川周辺まで大きな内湖が広がり、そのような内湖付近に小川津が位置していたとするもの もあるが、「津」の定義には(3)のようなものもあり、また、高嶋山作所が市内に所在する複数の杣山の総称であったとすれば、その中央を貫流する大河、安 曇川の流域に求める方が自然である。

また、現在の集落の姿を見て、人目も少なく山間僻地の朽木小川より、人目の多い安曇川町上小川・下小川に小川津があったとする説があるが、この時 代の針畑地域には多くの人が住み、賑わいを見せていた可能性もある。 小川を含む針畑地域には渡来人をはじめとする多くの住民が暮らしていた郷の存在があったと考える説もあり、小川津とも深い関わりがあったと思われる。 また、白洲正子著の『私の古寺巡礼』には、「若狭には、朝鮮その他の国々から渡来した人々もたくさんいたから、貢ぎ物だけでなく、僧侶や技術家なども相次 いで都へ上ったであろう。特に、東大寺建立のような大事業には、彼らの尽力を抜きにしては考えられない」とある。 若狭から朽木小入谷を抜けて京都へ出る「鯖の道」に沿って桑原郷があり、渡来人がこの道を通って奈良へ向かったと考えるならば、朽木小川周辺が人や物の集 まる場所としては、適した位置にあったことが分かる。

さらには、針畑川の源流付近には「九津(ここのつ)」という地名がある。 なぜ、山の奥に津があるのか、いささか不可解な気もするが、実は水量の少ない渓では、水をためて一気に押し流す「てっぽう」とよばれる方法で筏を動かして いた。 また、水神を祀り、筏師と関わりの深い思子淵(しこぶち)神社が安曇川流域には多く建立されている。

こうした地域に伝わる一つひとつの伝承と史実をつなぎ合わせていけば、朽木小川に 「小川津」があったとする説が、一層有力になるのではないかとも考えられる。

出典:朽木村史・通史編(平成22年 高島市発行)

雪情報

滋賀国道事務所管内道路 ライブ画像

 

R161雪情報(詳細状況)

 

雪と暮らし(冬道ドライブの心得)

高島市の観光・イベント情報

ピックアップイベント

 

今月の見どころ


観光のお問い合わせは

 

高島市全般

 

(公社)びわ湖高島観光協会

 

TEL:0740-33-7101

 

 

マキノエリア

 

マキノツーリズムオフィス

 

TEL:0740-28-8002

 

チャレンジする高島人



滋賀県の虹情報



高島市のニュース・行政情報

Yahoo! ニュース

 

高島市役所・防災無線放送

サイト運営者情報

認定NPO法人
eネットびわ湖高島

 

〒520-1121

滋賀県高島市勝野 3003

tel: 050-3635-9231

fax: 050-3730-4827

(050 はIP電話・Faxです)

 

クリックで応援 お願いします


『NPO法人 eネットびわ湖高島』に、いいね!やシェアだけで支援金を届けられます。? NPO/NGOを誰でも簡単に無料で支援できる!gooddo(グッドゥ) ?

寄付支援のお願い

PAGE TOP