【高島市歴史散歩】 高島市の義経伝承

 
 

源平の争乱の活躍で名高い源義経は、平家追討に多大な功績をあげながら、その前後は数奇な運命をたどったことや、悲劇的な最後を迎えたことから、死後は、多くの人々の同情をあつめ、いくつもの物語や伝説に語り継がれるようになりました。

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なかでも、室町時代に成立した「義経記(ぎけいき)」は、義経の幼少時代と、兄・頼朝に追われて奥州へ向かう旅のようすを記したもので、数ある義経を主人公とした物語のうちで、最も有名なものとして知られています。

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この「義経記」のなかには、大津から北陸へ向かう義経一行が、高島市を通る場面が登場します。巻七「大津次郎の事」には、義経が商人大津次郎という人物の 助けを借りて、大津浦から船に乗って琵琶湖を北上し、「今津の浦を漕ぎすぎて、海津の浦にぞ著(ふ)きにける」と、今津を過ぎて海津に上陸し、さらに北国 を目指していくようすが描かれています。現在、マキノ町海津浜には「義経の隠れ岩」と呼ばれる、人がかがんで入れるほどの穴のあいた岩があり、海津に着い た義経がこの岩に身を隠したという伝承が残っています。

また、今津町北仰(きとげ)には、北国へ向かう途中の義経一行が北仰に現れ、一夜の宿を請うことがあったという伝承が伝わっています。村人たちは 白米や野菜を持ち寄ってもてなし、一行は翌朝、感謝の印に村人に太刀を与え、海津方面へ落ち延びていったといいます。北仰の人々は、その太刀を彼らの食べ 残した白米とともに埋め、塚を築きました。これが、現在に残る白米塚だといわれています。また一説には、この地の僧が残った白米に「南無阿弥陀仏」の名号 を書き込んで、土中に埋めた場所とも伝えられています。

北仰の伝承は、船で海津に着いたという「義経記」の記述とは矛盾しますが、この白米塚の話は、高島市付近を通って北国へ落ち延びていったであろう義経一行への、地元民の哀れみや同情の気持ちが作り出したものといえるかもしれません。

出典:高島市役所発行「広報たかしま」平成17年5月

 

義経の隠れ岩


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