【高島市歴史散歩】大溝城(おおみぞじょう)と水口岡山城(みなくちおかやまじょう)

 
 

天下統一の拠点と対岸の水城(みずじろ)

大溝城は、天下統一を目指す織田信長が安土城を築いたとき、その対岸にあたる高島郡支配の拠点として、天正6年(1578年)に甥の織田信澄(のぶすみ)によって築城された城です。設計は、明智光秀と伝えられ、乙女ヶ池に隣接して造られていることから、内湖を巧みに利用した「水城」であったことがうかがえます。一方、水口岡山城は、甲賀市水口町に所在する古城山(こじょうさん/大岡山)一帯に位置する城跡です。天正13年(1585年)に豊臣秀吉の家臣である中村一氏(かずうじ)によって築かれ、慶長5年(1600年)まで存在したとされる城跡です。

対岸を結ぶ瓦

この遠く離れた水口岡山城と大溝城を結びつける資料として、『西川家文書(にしかわけもんじょ)』とよばれる古文書(こもんじょ)が存在します。この古文書には、大溝城の天守を解体して、その部材(ぶざい)を水口へ運び、水口岡山城に利用することが記載されています。 実際、水口岡山城の発掘調査では大溝城と同じ軒丸瓦(のきまるがわら)が出土していることから、大溝城の部材が水口まで運ばれ使用されていたのは確かなようです。

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移築年代の謎にせまる

この部材が運ばれた年代については、水口岡山城が築城された年である天正13年(1585年)、もしくは別の古文書の記述から慶長8年(1603年)と考えられてきました。しかし、天正13年では大溝城に京極高次(きょうごくたかつぐ)らが歴代城主として存在しており、城主が居りながら天守が解体されることとなってしまいます。また、慶長8年では水口岡山城が既に廃城(はいじょう)になった後であることから、廃城した城に部材を運び利用したこととなってしまいます。いずれの年代も矛盾することから、正確な移築年代は謎となっていました。

今年9月27日に甲賀市で開催された水口岡山城フォーラムでは、この移築年代について検討が行われ、先の『西川家文書』は文禄4年(1595年)以降の、水口岡山城3代目城主である長束正家(なつかまさいえ/1595年~1600年)の時に記述された可能性が新たに指摘されました。

このことは、大溝城の部材は、長束正家が水口岡山城の城主であった1595年以降に運ばれたことになり、大溝城の変遷を考える上で新たな研究成果として注目されます。また、今回の研究成果は、これまでの定説が、新たな発見や研究成果により、見直しされる可能性を秘めていることを物語っているのではないでしょうか。

出典:広報たかしま 平成27年11月号

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