【高島市歴史散歩】船木崎の飛行場

安曇川町北船木の現在滋賀県立びわ湖こどもの国や滋賀県安曇川人工河川となっている一帯には、戦時中、「船木飛行場」と呼ばれた飛行機着陸場所がありました。

大正9年(1920年)12月、陸軍に「航空第3大隊(だいたい)」が結成され、その配属地は民間の飛行場があった滋賀県神埼(かんざき)郡八日市町沖野ケ原(おきのがはら/現東近江市沖野)と決定しました。この場所は八日市飛行場と呼ばれ、特に、昭和16年(1941年)の太平洋戦争開戦以降は、教育隊をふくむ複数の空陸部隊が駐屯し、多くの飛行機がこの場所から飛び立っていきました。

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この八日市飛行場から飛び立つ飛行機の途中着陸場として設置されたのが、船木飛行場です。大正11年(1922年)、陸軍の演習地であった饗庭野演習場で第16師団(しだん)の大規模な演習が行われることになり、八日市飛行隊もこれに参加することになりました。この時に饗庭野までの間に途中着陸場所が必要ということで、官有の草生地と民有の畑地等が広がっていた船木崎が着目されました。

第1期工事では、高島郡から在郷(ざいごう)軍人、青年団員、地域住民等3,500人が動員され、軍隊の指導のもと、約3万坪の土地が東西南北に十字の形に整地されました。その後、第2期・第3期工事では、旧河川堤防の切り取りや桑畑の整地が行われ、1期工事と合わせて約7万坪の飛行場が完成しました。

船木飛行場の完成後は、年3回の饗庭野での陸軍演習に参加する飛行機のため、仮格納庫(かりかくのうこ)も建設されました。

太平洋戦争末期、昭和19年(1944年)から翌年20年までは、海軍予科練習生のグライダー飛行訓練場となり、練習生たちは北船木の三寺院に分宿して訓練を行いました。この間には、グライダー格納庫が米軍艦載機グラマンの機銃掃射(きじゅうそうしゃ)を浴びたこともあったといいます。

戦後、飛行場は閉鎖され、跡地の多くは開墾されて、サツマイモ畑として活用されました。 その後は県に買い上げられ、「滋賀県青少年レクリエーションセンター」、さらに「滋賀県立びわ湖こどもの国」となり、現在に至っています。

参考文献:『高島郡誌』、『安曇川町史』、『南船木史』
出典: 広報たかしま 平成27年8月号

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