【高島市歴史散歩】裏の湖(うみ) ~乙女ヶ池~

 
 

天平宝字(てんぴょうほうじ)8年(764年)、謀反を起こして敗れた太政大臣 藤原仲麻呂(恵美押勝(えみのおしかつ))は、越前国(えちぜんのくに/福井県)へ逃れようとする途中、勝野の鬼江で捕えられて処刑されました。この時、仲麻呂の一族郎党34人も鬼江で処刑されたと伝えられます。「鬼江(おにえ)」の地名は残っていませんが、おそらく現在の高島市勝野に所在する乙女ヶ池付近を指していると考えられます。

乙女ヶ池の名は、昭和28年(1953年)から数年間、この場所で淡水真珠の養殖業が営まれた頃から、使われるようになったといわれています。

otomegaike

大溝藩の地誌「鴻溝録(こうこうろく)」によれば、乙女ヶ池の名称は「洞海(どうかい)」であったとされます。また、昭和30年代頃まで、人々は琵琶湖を「ウミ」と呼ぶ一方で、内湖のことは「ウラウミ」あるいは「セドウミ」と呼んでいました。「セド」も「裏側」を意味する言葉で、表の琵琶湖に対して内湖は裏口という意識がもたれていたようです。

biwakootomegaikeenkei

このような意識は、生活に関わる水の利用にもよく表れていました。琵琶湖の水は毎日顔を洗ったり、米を研いだり、きれいな水として使われました。一方、内湖は周囲の水田からの農業排水や生活排水が流れ込む、溜まり水として機能していました。排水が集められた内湖では水草が繁殖し、畑の肥料として、または乾燥を防ぐためにも使われていました。毎年7月になると、伸びた藻をはさみ竹や備中鍬(びっちゅうぐわ)などで引っ張ってねじり取り、田船で運んで生葉のまま畑の畝(うね)に置かれました。また、冬場になると内湖の藻と泥を一緒に取り、畑地へ入れることも行われていたそうです。水草の他にも、内湖にはマコモと呼ばれる植物が繁殖し、牛の飼料として利用されていました。このように内湖から得た肥料などを直接畑に運び込むため、あるいは田畑の収穫物を集落まで運搬するために、内湖に接した家では必ず田船を一艘持っていて、陸地を運ぶ大八車やリヤカーなどは使われなかったそうです。
また、谷水(たにみず)だけでは不足する場合の補助水源として、タニシと呼ばれる木製の手回しポンプを用いて内湖から水を汲(く)み上げ、耕作に利用することも行われていました。

このように打下の集落をはじめ、琵琶湖岸で暮らす人々にとって、裏の湖(内湖)は琵琶湖と同じくらい生活に欠かせない、大切な存在だったのです。

出典:広報たかしま 平成27年6月号

雪情報

滋賀国道事務所管内道路 ライブ画像

 

R161雪情報(詳細状況)

 

雪と暮らし(冬道ドライブの心得)

高島市の観光・イベント情報

ピックアップイベント

 

今月の見どころ


観光のお問い合わせは

 

高島市全般

 

(公社)びわ湖高島観光協会

 

TEL:0740-33-7101

 

 

マキノエリア

 

マキノツーリズムオフィス

 

TEL:0740-28-8002

 

雪情報

滋賀国道事務所管内道路 ライブ画像

 

R161雪情報(詳細状況)

 

雪と暮らし(冬道ドライブの心得)

チャレンジする高島人



滋賀県の虹予報


高島市のニュース・行政情報


Yahoo! ニュース

 

高島市役所・防災無線放送

サイト運営者情報

認定NPO法人
eネットびわ湖高島

 

〒520-1121

滋賀県高島市勝野 3003

tel: 050-3635-9231

fax: 050-3730-4827

(050 はIP電話・Faxです)

 

寄付支援のお願い

PAGE TOP