【高島市歴史散歩】 古代製鉄―北牧野くちなし谷炭窯遺跡―

マキノ高原温泉さらさの横を通り過ぎ、スキー場の麓(ふもと)を道なりに進んでいくと、斧研川(よきとぎがわ)に小さな橋が架かっています。ここを左に折れて小道に入り、右手奥の斜面をのぼった先に、扉のついた洞穴がひっそりと存在しています。

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昭和58年(1983年)、地元で通称「人穴(ひとあな)」と呼ばれていたこの洞穴を調査したところ、四方の壁が焼けて黒くなり、穴の底には木炭の滓(か す)が重なって残っていました。これは炭焼き窯が発達してきた歴史を照らし合わせて、奈良?平安時代(8?9世紀)頃の大型黒炭窯(くろずみがま)ではな いかと考えられています。

この北牧野くちなし谷炭窯遺跡に見られる大型黒炭窯は各地で発見されていますが、そのほとんどは窯の床面だけが残っているような状態です。くちな し谷炭窯遺跡では、天井まで無傷の状態で、窯が実際に使われていた古代のままの姿で保存されています。また、山の中腹の斜面を完全にくりぬいた珍しい構造 で、古代の木炭生産を研究するために貴重な遺跡です。この炭窯で焼かれた木炭は、ここから500mほど離れた場所に存在する北牧野製鉄遺跡(きたまきのせ いてついせき)で、燃料として使われていたと考えられます。

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古代の鉄は、砂鉄や鉄鉱石を高熱の木炭で溶かして作ったと考えられています。北牧野製鉄遺跡では、製鉄炉の近くに砂鉄が見当たらないことや、鉄滓(てっさい)のチタン酸量が少ないことなどから、砂鉄ではなく鉄鉱石から作られたものと思われます。

鉄鉱石を原材料にしたとすると、その鉱石はどこから運んできたものなのでしょうか。北牧野製鉄遺跡から北北西の方角にある大谷山(おおたにやま) には、鉱石を採掘した跡が残っています。ここは製鉄遺跡の横を流れる斧研川の上流にあたり、採掘跡から山を下りる道が遺跡の近くを通っています。

ただ、標高500mほどの山の中腹にあり、川沿いとはいえ鉱石を運ぶには険しい道であるため、古代の人々が人力で運び出したとすれば、かなりの危険を伴う作業であったことでしょう。

炭窯・製鉄炉・鉱石の採掘跡の存在から考えると、北牧野製鉄遺跡一帯は、古代製鉄の工業地域として発展した場所であったことがうかがわれます。ま た、製鉄遺跡から南の方角に位置する、100基以上の古墳からなる北牧野古墳群は、当時の地方有力者の存在を示しています。さらに湖西最大の駅(奈良?平 安時代に官道(かんどう)の拠点として作られた施設)と考えられている鞆結駅(ともゆいえき)の存在ともかかわりあって、現在の閑静な様子からは想像もつ かないほど繁栄した、古代の重要地であったのかもしれません。

出典:広報たかしま 平成26年8月号

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