【高島市歴史散歩】饗庭三坊(あいばさんぼう)と城

戦国時代の末になると、高島郡では「饗庭三坊」が有力土豪(どごう/その土地の豪族)として台頭してきます。

永禄(えいろく)9年(1566年)高島郡への影響力を強める浅井長政(あざいながまさ)は、善積荘(よしづみのしょう/現在の今津町南部)・河 上荘(かわかみのしょう/今津町北部)のほか、木津荘(こつのしょう/新旭町北部)・保坂関(ほうざかのせき)の取り分の一部を、西林坊(さいりんぼ う)・定林坊(じょうりんぼう)・宝光坊(ほうこうぼう)にあてがっています。

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饗庭三坊について、地元ではさまざまな呼び名や伝承が語り継がれています。

『高島郡誌』には、「吉武壱岐守(よしたけいきのかみ)の長子(ちょうし/はじめての子)が西林坊と号し日爪村に、次子(じし/2番目の子)が定林坊を号し霜降村に、季子(きし/末子)が吉武壱岐守と称し、五十川(いかがわ)村の吉武城にいた」と記されています。

この三つの坊は、他の文献史料からもその実在を確認することができることから、西林坊、定林坊、宝光坊が「饗庭三坊」であったと考えられます。

新旭町の南部では、清水山城や新庄城が築かれるのに対し、北部の木津荘の範囲には、日爪城や饗庭館(あいばやかた)、そして五十川城やその城下と考えられる吉武城が築かれています。

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応永29年(1422年)に作成された『木津荘検注帳(けんちゅうちょう)』には、日爪城が位置する丘陵のふもとに「西林坊」の地名が、享禄(きょうろく)2年(1529年)の『饗庭又三郎売券(あいばまたさぶろうばいけん)』には「霜降定林坊」の名が記されています。

また、五十川村には「宝光坊」の地名や、吉武壱岐守との関係が推測できる「吉武」の名も見られます。

吉武壱岐守については、天正10年(1582年)織田信長の加賀一向一揆(かがいっこういっき)の討滅(とうめつ) 前後に、鳥越城(とりごえじょう/石川県白山市)の城主として、その名が見られるほか、慶長(けいちょう)3年(1598年)に村上頼勝(よりかつ) が入城する村上城(新潟県村上市)の田口曲輪(くるわ) は、村上氏の筆頭家老であった吉武壱岐守とその家臣団「山衆(やましゅう)」の居住地として「壱岐殿丸(いきどのまる)」とも呼ばれています。

昭和61・62年の国道161号バイパス建設に先立ち実施された吉武城跡の発掘調査では、16世紀後半の掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)や区画性のある堀跡(ほりあと)などが見つかっています。

堀跡からは土器とともに阿弥陀石仏(あみだせきぶつ)や一石五輪塔(い っせきごりんとう)などの石造物が出土しています。これらには火をうけた痕跡が認められるとともに、多くの石材が投棄(とうき)されたような状態で見つかっています。

元亀(げんき)3年(1572年)織田信長の命をうけた明智光秀(あけちみつひで)は、「饗庭三坊の城下まで放火し、城を三箇所落とした」ことを書状に記しています。

発掘調査で見つかった吉武城跡の堀跡からの出土物は、落城や城の廃絶(はいぜつ)が推測できる資料として注目されます。

出典:高島市発行「広報たかしま」平成24年12月号

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