【高島市歴史散歩】清水山城と城下

walk83-01.jpg

饗庭野の南東部に位置する清水山城は、全国的に貴重な遺跡として、山城(やましろ)・屋敷・館(やかた)の範囲が国の史跡に指定されています。
城の南方には、湖西最大の河川であり、水運に重要視された安曇川が流れています。一方、山麓(さんろく)には、主要な道である西近江路が南北に縦断(じゅうだん)しています。

この西近江路に沿って清水山城下の集落が営まれていました。

まず、城下の一番北端に位置する集落が「今市(いまいち)」です。明治6年の地籍図(ちせきず)を見ると、道に面して間口の狭い「短冊(たんざく)形」の土地が連続してならび、市場の町なみを想像することができます。

「今市」は、その名称などから清水山城主 佐々木越中(ささきえっちゅう)氏によって「新しくつくられた市」と考えられています。

のちに織田信澄(のぶずみ/信長の甥)が築く大溝城下町には、新庄町(しんじょうまち)・南市町(みなみいちまち)・今市町(いまいちまち)の地 名が見られ、城下町がつくられるにあたって、高島郡内の町場(まちば)が移転されたことがうかがえます。新庄町(しんじょうまち)は新庄城下の町場、南市 町(みなみいちまち)は安曇川南岸(みなみぎし)の田中の町場、今市町は清水山城下の町場である「今市」と考えられています。

walk83-02.jpg

「今市」は戦国時代末には大溝城下町に招かれるほど発展した町場(まちば)になっていたと推測されています。

「平井」は、今市の南に位置し、清水山城への大手道(おおてみち)が西近江路と交錯(こうさく)する地点にあたります。地元には、佐々木越中氏 (ささきえっちゅうし)の家臣(かしん)であった八田氏が住んでいたとする伝承が残っています。明治6年の地籍図には、西近江路と大手道に沿ってブロック 型の土地が見られることから、武家屋敷群が存在したのではないかと推測されています。

平井の南に位置する「安養寺(あんようじ)」の集落は、清水山屋敷地の「地蔵谷(じぞうだに)」にあり、織田信長の高島郡攻略の時に、清水山から現在地に移転したと伝えられています。

「川原市(かわらいち)」は、西近江路(にしおうみじ)が安曇川を渡る地点の北側に位置し、すでに、応永34年(1427)に書かれた『宋雅道(そうがみち)すがら之記』にその名が見られます。

集落にある妙敬寺(みょうきょうじ)は、佐々木氏の一族が建てたと伝えられ、境内(けいだい)には佐々木高信(たかのぶ)の墓と伝えられる五輪塔 (ごりんとう)が残っています。また、七川祭における「神御供(みごく)の式」では、佐々木氏おかかえの鍛冶(かじ)の子孫とされる「河原市鍛冶」の岡田 一族が正座します。

これらのことから「川原市」は、鎌倉時代より佐々木氏と密接な関係にあり、佐々木氏直属の職人集団が存在したと考えられています。

清水山城の城下は、国内の城下町がどのように形づくられていったか、その過程を知る上で、その初期段階の事例として注目されています。

出典:高島市発行「広報たかしま」平成23年11月号


清水山城跡

高島市の観光・イベント情報

ピックアップイベント

 

今月の見どころ


観光のお問い合わせは

 

高島市全般

 

(公社)びわ湖高島観光協会

 

TEL:0740-33-7101

 

 

マキノエリア

 

マキノツーリズムオフィス

 

TEL:0740-28-8002

 

雪情報

滋賀国道事務所管内道路 ライブ画像

 

R161雪情報(詳細状況)

 

雪と暮らし(冬道ドライブの心得)

チャレンジする高島人



滋賀県の虹予報


高島市のニュース・行政情報


Yahoo! ニュース

 

高島市役所・防災無線放送

サイト運営者情報

認定NPO法人
eネットびわ湖高島

 

〒520-1121

滋賀県高島市勝野 3003

tel: 050-3635-9231

fax: 050-3730-4827

(050 はIP電話・Faxです)

 

寄付支援のお願い

PAGE TOP