【高島市歴史散歩】織田信長、大船で高島を攻める

 
 

 元亀(げんき)4年(1573)5月22 日、織田信長は、将軍 足利義昭が戦備を整えているとの情報を得たため、彦根の佐和山城(さわやまじょう)下の松原(まつばら)において、急きょ、巨大な船の建造に取りかかりま す。 『信長公記(しんちょうこうき)』によると、信長は大船の建造にあたり、のちに安土城天主建設の大工頭(だいくがしら)を務める岡部又右衛門(おか べまたえもん)を棟梁(とうりょう)に任命します。

船は「長さ30間(約60m)、幅7間(約14m)とし、艪(ろ)を100挺(てい)備えさせ、艫(とも/船尾)と舳(へさき/船首)に櫓(やぐ ら/展望がきく背の高い建物)をつくり、堅固なつくり」にするよう又右衛門(またえもん)に命じました。そして、自らも昼夜を問わず、現場を監督しまし た。これにより船は同年7月5日に完成し、その大きさは多くの人々を驚かせました。

walk82-01.jpg

出来上がった大船は、現在、琵琶湖に浮かぶ船の中で、最も大きい「ビアンカ」が全長約66m・幅約12mなので、ほぼこれに匹敵する大きさです。

7月26日、信長はこの大船に乗って高島郡に出陣します。

現在、高島市内に残る田屋(たや)城、清水山城、田中城の中心地からは、琵琶湖を一望することができます。当時も大船で信長が攻めてくる様子が、 これらの城からもうかがえたことでしょう。 『信長公記』には、高島郡の攻撃の様子について「陸から木戸・田中両城(じろ)を攻め、琵琶湖からも大船をつ け、信長直属の馬廻(うままわり/騎馬の武士)によって攻めたため、城主は降参し、城を退いた。信長は木戸・田中両城を明智光秀に与えた」と記していま す。

そして、信長は、高島郡内の浅井久政・長政の知行所(ちぎょうしょ/領地)に馬をすすめたのち、林与次左衛門員清(はやしよじざえもんかずきよ)の所(打下(うちおろし))に陣をおき、高島郡内に兵を放って放火させ、高島郡を攻略しました。

文献上に見られる大船の利用は二度限りで、天正(てんしょう)4年(1576)に、信長は「大船入(い)らず」とし、早舟(はやふね)10艘に造り替えられます。

理由として、義昭が没落したことや、近江の支配が安定し、この年に安土城の築城が始まっていることから、大船を軍事的に、そして威圧的に利用する必要がなくなったことが考えられ、移動が目的の早舟に造り替えられたものと思われます。

信長にとって高島郡の攻略は、近江平定への大きな足がかりとなりました。約半月後に小谷から敗走する朝倉氏を、さらに半月後には浅井氏を小谷城に攻め滅ぼします。高島の佐々木一族は、織田信長との攻防の中で、いかに行動したのでしょうか。

出典:高島市役所発行「広報たかしま」平成23年10月号

雪情報

滋賀国道事務所管内道路 ライブ画像

 

R161雪情報(詳細状況)

 

雪と暮らし(冬道ドライブの心得)

高島市の観光・イベント情報

ピックアップイベント

 

今月の見どころ


観光のお問い合わせは

 

高島市全般

 

(公社)びわ湖高島観光協会

 

TEL:0740-33-7101

 

 

マキノエリア

 

マキノツーリズムオフィス

 

TEL:0740-28-8002

 

雪情報

滋賀国道事務所管内道路 ライブ画像

 

R161雪情報(詳細状況)

 

雪と暮らし(冬道ドライブの心得)

チャレンジする高島人



滋賀県の虹予報


高島市のニュース・行政情報


Yahoo! ニュース

 

高島市役所・防災無線放送

サイト運営者情報

認定NPO法人
eネットびわ湖高島

 

〒520-1121

滋賀県高島市勝野 3003

tel: 050-3635-9231

fax: 050-3730-4827

(050 はIP電話・Faxです)

 

寄付支援のお願い

PAGE TOP