【高島市歴史散歩】秋の収穫に使用した民具

 市内各地では稲刈りの時期を迎えています。 現在は、ほとんどの農家がコンバインなどの機械を使って稲刈り・脱穀を一度に行っていますが、わずか50年程前は、こうした収穫の作業は、ほとんど機械化 されず、人々の経験と知恵で編み出された道具を使って人力で行われていました。

機械が導入される以前の収穫の作業は、地域や時代によって違いはありますが、おおよそは鎌を使って人の手で行う稲刈り、その稲を日に干して乾燥さ せた後、稲から籾(もみ)をはずす脱穀、そして籾の皮を剥(む)く籾摺(もみす)りという手順で進められました。この中の脱穀の作業のためには、早くから さまざまな道具が考案されてきました。

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江戸時代はじめ、脱穀のために使われたのはコキバシと呼ばれた道具で、これは大型の竹の箸のようなものに稲穂を挟んで籾をしごき取るというものでした。こ のコキバシに変わる道具として元禄時代(1688?1704)に和泉国(現大阪府)で考案されたといわれるものがセンバコキで、これは木の台の上に鉄また は竹製の櫛(くし)状の歯を水平に並べたもので、台に付いた足置きを踏んで本体を固定しながら、歯の上に稲束をたたきつけ、その稲束を引き抜いて籾を落と す、という仕組みのものでした。少しずつ稲穂を挟みながら作業をするコキバシに比べ、稲束のまま脱穀ができるセンバコキの登場は画期的で、これによって脱 穀の能率は飛躍的に向上したといわれています。センバコキは江戸時代末期から明治時代にかけて、改良を経ながら長い間全国各地で使用されました。

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その後、登場したのが足踏み脱穀機で、これは明治時代末に考案され、大正時代初期には全国に普及したといわれています。足踏み脱穀機とは、木または鉄製の ドラムに逆V字型の太い鉄条の歯がさしてあるもので、ドラムを足踏みペダルで回転させて、そこに稲束をあてて脱穀をするというものでした。この足踏み脱穀 機は、センバコキによる脱穀をさらに効率的に進めることができるようになり、戦後まで全国各地で使用されました。

動力による脱穀機が登場したのは昭和30年ころで、昭和50年ころのコンバインの登場で、収穫作業の機械化はさらに進み、現在に至っています。

ところで、みなさんは写真のセンバコキや足踏み脱穀機を実際に見たことがありますか。おそらく足踏み脱穀機くらいですと「昔は使っていた」という ご記憶のある方も多いのではないでしょうか。マキノ資料館では、こうした少し前の農作業で使われていた民具や生活道具などを常設で展示しています。また、 現在は展示室の一部を利用して、昔ながらの暮らしや地域の歴史を学ぶための参考図書が閲覧できるコーナーを設けています。身近な地域の歴史に少し触れてみ ようというときは、ぜひマキノ資料館にお越しください。

出典:高島市役所発行「広報たかしま」平成21年9月号

マキノ資料館

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