【高島市歴史散歩】街道沿いに栄えた物流拠点「弘部野遺跡」

昭和56・57・61年度に、今津町下弘部から上弘部にかけての水田地帯で行ったほ場整備に先立つ事前調査によって、飛鳥時代から奈良時代の弘部野遺跡と呼んでいる集落跡が発見されました。

これまでに発見されている建物跡は、半地下式の竪穴住居30棟と地上式の掘立柱(ほったてばしら)建物20棟以上などがあり、大まかには前者は飛鳥時代、後者は奈良時代を中心としたものです。

写真は、現在調査を進めている字南樫地区で見つかった、柵で区画された中に比較的大型の掘立柱建物が少しずつ位置をずらしながら、3回建替えられ た様子です。古代の建物は、地面に穴を掘って、直接柱を埋め込んでいますので、建てられた場所の土質にもよりますが、30年前後で建替えが必要だったよう です。建物の年代は出土した土器から、奈良時代の全般を通してのもので、同一場所に同規模の建物を100年近く維持していく必要があったものとみられま す。

また、これまでの出土品の中で特に注目されるものに、内陸部の遺跡では、ほとんど出土しない、海水を煮詰めて塩を作るための容器「製塩土器」や古代製鉄の原料となる2?3センチ大に小割りした鉄鉱石などがあります。

古代において、塩や鉄は、どこでも作れるものではなく、原料の入手しやすい地域の特産品として、都に納められていました。奈良の平城京から出土す る若狭国からの荷札木簡の多数は塩で、大量の塩が年貢として都に送られていたことがわかっています。これらの塩は弘部野遺跡内を縦断していたと考えられる 北陸道を陸路で、琵琶湖の水運を利用して奈良の都へ送られていたと考えられます。弘部野遺跡の東部に展開する弘川遺跡からは、多数の倉庫群が発見されてお り、塩の運搬や保管で、大きな役割を担ったとみられます。

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また、奈良時代の文献である『続日本紀』天平宝字6年に「大師の藤原恵美朝臣押(ふじわらのえみのあそんおし)勝(かつ)近江国浅井・高島二郡の 鉄穴を各1カ所賜る」と、高島の製鉄に関しての記載が登場し、奈良時代の有力な官人・貴族たちが製鉄に関与していたことがわかります。高島市北部では、海 津大崎で鉄鉱石の露頭がみられ、古代の製鉄遺跡も多く発見されています。弘部野遺跡の南に位置する饗庭野丘陵にも、古代最大級とみられる東谷製鉄遺跡が存 在しています。

この様に、古代の政治・経済・文化を創造することに欠かせない必需品を都に安定供給する場所に位置する弘部野遺跡は、単にその仕事に従事した集落というよりも、何らかの公的な役割を担っていた可能性が今回の調査で高くなったといえます。

出典:高島市役所発行「広報たかしま」平成21年7月号

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