【高島市歴史散歩】「鴻溝城裡謫遷客(こうこうじょうりたくせんのきゃく)」の詩碑

この詩碑は、JR近江高島駅の西山手の瑞雪禅院(ずいせつぜんいん)に建てられています。詩の作者は、江戸時代の終わりの頃、北方を探検した英傑 近藤重蔵(1771から1829)です。

では、なぜ重蔵の詩碑が瑞雪禅院に建てられているのでしょうか? その経緯を次に述べます。

近藤重蔵は、江戸の町与力を勤めている近藤守知(もりとも)の次男として江戸駒込町に生まれます。幼児から神童と言われ、天明8年 (1788)17歳にして同学の士を募り白山義塾を開きます。その後、寛政10年(1798)28歳の時から文化4年(1807)37歳にかけての約10 年間に、北方クナシリ、エトロフ島などの蝦夷地を五回に渡り探検し、高田屋嘉兵衛らとともにエトロフ島で漁場を開いて開発に努めました。また、同島に「大 日本恵登呂府(えとろふ)」の標柱を建てました。

のち、幕府の紅葉山(もみじやま)文庫の書物奉行に抜擢(ばってき)され、11年間勤めています。しかし、幕府の要人と意見が合わず左遷され、更に長男富蔵が起こした隣家の者七人の殺傷事件に監督不行届責任を問われ、文政9年(1826)、近江の大溝藩分部左京亮光寧(わけべさきょうのすけみつやす)にお預けの身となったのです。

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そして、大溝藩における重蔵の生活は、困難であったろうと想像させるが、幽閉中でも勉学に励み、近江の植物についての『江州本草』30巻を著したと伝えられています。

文政12年(1829)6月9日に59歳の生涯を終えました。しかし、幕府の検死が7月16日に行われたので、それに合わせるため、死亡日は6月16日とされています。

一方、息子の富蔵は明治13年(1880)罪が解かれ、父重蔵の眠る大溝瑞雪禅院に墓参しています。

明治37年に始まった日露戦争以後北方探検に尽くした重蔵の功績が高く評価され、脚光を浴びます。明治44年(1911)9月15日に、北方探検 の功によって明治政府から正五位(しょうごい)が贈られて以来、有志の手で墓所が整えられてきました。そして今日、地元の有志による「近藤重蔵翁顕彰会」 が法要や、遺品・墓地の管理などを行っています。その一環の事業として、昭和62年(1987)11月7日、重蔵が詠(よ)んだ詩の一節「鴻溝城裡謫遷客 (こうこうじょうりたくせんのきゃく)」、罪をこうむって大溝藩にお預けの身であるという意味の言葉を刻んだ詩碑が、作家徳永真一郎氏の揮毫(きごう)に より、瑞雪禅院の庭の一角に建立されました。

* 「鴻溝城(こうこうじょう)」とは、大溝藩の陣屋のことです。

出典:高島市役所発行「広報たかしま」平成21年6月号

瑞雪禅院

 

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