【高島市歴史散歩】峠を越えた筏(いかだ)と魚の話 

●峠を越すための工夫

朽木西小学区の針畑地区は、15世紀以前は針畑荘(はりはたそう)と呼ばれ、京都の法成寺や比叡山延暦寺領として、材木を供出する杣(そま)が営まれていました。針畑地区最奥部(さいおうぶ)の生杉(おいすぎ)集落の西方には、近江と山城(やましろ)の国境である地蔵峠(680m)があり、峠を下ったところの枕谷(まくらだに)は、京都府北部を流れる由良川(ゆらがわ)源流の一つとなっています。

この辺は、江戸時代までは「中山のちまた山」と呼ばれて、針畑郷と知井郷(ちいごう/南丹市美山町)が共用する山林でした。

この中山で伐採されたスギなどの用木は、峠を越えて針畑川の支流生杉川の源流付近に運ばれて、筏に組まれて、生杉川を下りました。峠を越すにあたっては、驚くべき方法が用いられていました。枕谷(まくらだに)と地蔵峠の落差(比高差)が25mほどであることから、通常は木の幹を輪切りにした小径(しょうけい)の車輪をつけた「コロ車」と呼ばれる運搬車や人の肩が使われましたが、ときには小さな運河を掘って材木を流したり谷を堰(せ)き止めて材木を浮上させることで落差を少なくしたといわれています。過酷な労働に対して知恵を働かせて立ち向かった先人の努力がうかがわれます。

●丹波の筏も峠を越えた

丹波山地には、中央分水嶺が存在し由良川が東から西へ流れて日本海へ注ぎ込み、保津川(ほづがわ)・桂川の上流となる大堰川(おおいがわ)が北から南へ流れて淀川と合流し、大阪湾に注ぎます。

材木の需要が多かった京の都へは、北山で伐採された材木が筏に組まれて大堰川を下り、嵐山へ運ばれました。一方、由良川水系では都の需要に応えるために、上流から流してきた筏を美山(みやま)や山国(やまぐに)付近で解体し、海老(えび)坂・深見峠(ふかみとうげ)・越木峠(こしきとうげ)を人の背や牛馬の背で越して、大堰川支流の弓削(ゆげ)川岸や田原川岸へ運んだのち、再び筏に組まれ都へ運ばれました。針畑と同様の手法が、丹波においても行われていたのです。

●峠を越えたイワナ

京都や福井の日本海側には、渓流魚のイワナは棲息していないといわれています。しかし、由良川の最上流域では、時々その姿を見ることがあります。昔針畑の人が移植したためだそうです。峠を介して、地域間の交流があった証拠といえるでしょう。

出典:広報たかしま 平成29年8月号

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