【高島市歴史散歩】今津町弘川の遺跡群と地鎮祭(じちんさい) 

●平安時代の弘川周辺

平成29年4月の弘川宮ノ下遺跡の発掘調査では、平安時代中期から後期(10~13世紀頃)と考えられる2棟の掘立柱(ほったてばしら)建物(たてもの)跡(あと)が見つかりました。

この時期の建物は、隣接する弘川佃(ひろかわつくだ)遺跡でも過去の調査で発見されており、この一帯に多くの建物が存在していたことがわかっています。平成15年度の調査では、これらの建物を建てる前に使用されていた地鎮の痕跡として、皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)最後の鋳造貨幣である乾元大寶(けんげんたいほう)を多量に埋納した土師器小甕(はじきこがめ)が2つ検出されました。

1つは、口径9㎝、高さ14.5㎝、底部径9.5㎝で、埋納されていた穴から90数枚の貨幣と13枚のさし銭(ぜに)、7個のガラス小玉(こだま)が出土しました。

もう1つの小甕は、口縁部を欠損していますが前者よりやや大きめで、埋納されていた穴から8枚の貨幣と10枚のさし銭が見つかりました。

●地鎮祭の様子

これらの小甕が見つかった周辺からは、この貨幣が鋳造された時期の遺構等が見つかっていないことから、地鎮のために小甕が、単独で埋納されたと考えられます。

古代の人々は、土地を掘り起こしたり建物を建てる行為は、土地の神様を怒らせることになると考えており、その前に地鎮祭を行い、土地を利用させてもらうことの許しを請うとともに、工事の安全などを祈願していました。

地鎮祭では、お金やガラス玉、金箔、水晶などの貴重品を土器に入れ、穴を掘って埋めました。こうした地鎮祭の始まりは、約1300年前、持統天皇の時代、藤原京造営(ふじわらきょうぞうえい)の際に行われた儀式であると考えられています。

平安時代中期の今津町弘川南東部では、大型の掘立柱建物が多数発見されていて、郷などの管理にかかる中心施設として機能していたと考えられています。

このように、10世紀頃、当地周辺に公の施設の建築など大規模な開発が行われたと考えられることから、その地にいる土公(どこう/土地神)を鎮めるため、多量の乾元大寶が埋納されたのではないかと考えられています。

●現代に続く地鎮祭

現在も土木工事や建築工事などを行う前に、地鎮祭が行われていますが、工事の安全や家の繁栄を願う思いは、古代から受け継がれていると考えられます。

この乾元大寶が埋納されている小甕は、今津東コミュニティセンターに展示しています。

※皇朝十二銭 …和銅元年(708)から応和3年(963)にかけて日本で鋳造された12種類の銅銭の総称
※さし銭…紐を通してまとめた銭

出典:広報たかしま 平成29年7月号

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