【高島市歴史散歩】「古代から近代まで続いた「筏(いかだ)流し」」 

●「朽木の杣(そま)」から川下り

朽木西部に広がる山地は、奈良時代から「朽木の杣」として、都の造営や寺院の建立のための用材を伐り出す場所として知られていました。ここで伐り出された木は、筏に組まれ、安曇川・琵琶湖を下って、都へ運ばれていきました。この筏流しは、その先、約650年もの間続けられる安曇川での主要な生業の一つになりました。

●筏流しの作業工程

現在、聞き取りや古い写真等で概要が分かっている近代の筏流しの作業は、まず、梅雨明けから彼岸ごろの暑い時期に材木を切る「土用切(どようぎ)り」から始まりました。切った材木はそのままの場所で乾燥させ、秋に14尺(4.25m)の長さにそろえられます。冬になると材木にくさびを打ち込み、ロープまたは藤のつるを付け、積雪を利用して川岸まで運びます。その材木の両端に穴をあけ、その穴にネソと呼ばれる縄状の木を通して、つないで筏に組み、通常は3人の筏師が春の雪どけ水を利用して、その筏を安曇川河口の船木まで流しました。

また、水量の少ない支流などでは、「鉄砲」と呼ばれる「川の止め」を作って、一定水位まで川の水を溜め、一気に水門を開けて、その水の勢い(鉄砲水)で筏を流すことも行われました。さらに、岩場や急流の多いところでは、筏を流す時期の前になると石を割ったり、「川の止め」をつくって水面を高くしたりするなどの作業が行なわれました。この作業は「川せぎ」と呼ばれました。

●筏流しと水力発電

大正10年(1921)に荒川に、同12年には栃生に安曇川の水を利用した水力発電所が設置され、電力会社は流筏路(りゅうばつろ)を作るなどして、筏流しが引き続き行えるように工夫をしました。荒川発電所では、筏が用水を取り入れる高岩堰堤(たかいわえんてい) から約1.1㎞の水路のトンネルを通った後、安曇川へ合流するために、「ソロバン落とし」という装置のついた落差30mのスロープが造られました。筏はここを通ることにより、難所の一つであった朽木渓谷を通らなくても良いことになり、材木運搬の大幅な時間短縮にもなりました。

筏流しは、戦後数年間続けられ、道路網の整備に伴いトラックでの材木運搬が行なわれるようになると、材木を1本ずつ流す単木流しという方法がとられるようになりました。しかしこの単木流しも、昭和30年ごろには行なわれなくなり、川を利用して材木を運ぶという長年続いた筏流しの歴史は幕を閉じました。

出典:広報たかしま 平成29年5月号

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