【高島市歴史散歩】「大溝城遺跡の発掘調査」 

●織田信長と大溝城

大溝城は高島郡支配の拠点として、天正6年(1578)に織田信長の甥である織田信澄(のぶずみ)によって築城されました。設計は、明智光秀と伝えられています。

織田信長が、高島郡支配の拠点として大溝に城を構えた理由には、水陸交通の要衝であり軍事面で重要な地点であったことや、琵琶湖の支配権を掌握する目的があったと考えられます。

近江には、織田信長の安土城、織田信澄の大溝城、羽柴秀吉の長浜城、明智光秀の坂本城など琵琶湖に面して築かれた水城が存在しますが、信長は、これらの城をおさえることで、琵琶湖の支配権を掌握することができました。大溝城は、その一端を担う拠点となる城郭(じょうかく)であり、重要な役割を担っており、安土城と同じ文様の瓦を使用していることから、築城には織田信長の影響を大きく受けていたと考えられます。

大溝城の明確な遺構は、地表にはほとんど残っていませんが、天守台跡と考えられる石垣が乙女ヶ池(内湖)に隣接していることから、内湖を巧みに利用した水城としての景観をそのまま残している重要な遺跡であり、琵琶湖の支配権の掌握を重要視して築城されたことが現在の姿からもうかがえます。

●見え始めた大溝城の姿

現在、大溝城遺跡本丸跡の範囲を確認する目的で、平成27年度から発掘調査を行っています。

その成果として、本丸跡の西端部と北端部で、外郭ラインを示す石垣が発見されました。これらは、古い絵図の位置とほぼ一致して発見されたことから、地下には遺構が良好な形で保存されていることが分かり、重要な発見となりました。

昭和58年度の調査で発見された本丸の東端部の石垣の位置と整合させた結果、本丸の東西の規模は、約58メートルであることが分かりました。北端部の石垣は、クランク状にほぼ直角に曲がる形で発見されました。また、階段状になっていることから、琵琶湖から直接上がることもできる構造であったと考えられ、船着き場の可能性もでてきました。

平成27年度の調査では、水城の様相の一端が明らかになるとともに大溝城の姿がおぼろげながら見え始めてきました。現在、北端部のクランク状に曲がる石垣の延長がどうなっているのか確認すること、また、南端の外郭ラインを確認することを目的に発掘調査を実施しています。

今後のさらなる発掘調査の進展と絵図等の検証により、大溝城遺跡の範囲や構造などが明らかになることが期待されます。

出典:広報たかしま 平成29年4月号


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