【高島市歴史散歩】北国海道(ほっこくかいどう) と川原市宿

 
 

●市内に三つの宿場

 高島市内の湖辺(うみべ)を南北にはしる西近江路(にしおうみじ)は、古代より畿内と北陸を結ぶ主要街道でした。近世には北国海道とも呼ばれ、琵琶湖の湖上交通とも結びついて人や荷物が多く行きかい、宿場町(しゅくばまち)が繁栄しました。滋賀県内にあった北国海道沿いの七宿のうち、高島市内にもマキノの海津宿(かいづじゅく)、今津の今津宿(いまづじゅく)、新旭の川原市の三宿がありました。

このうち川原市の名前は、中世からすでに登場しています。市内の他の二宿と異なり、湖に面していないことから他の宿(しゅく)と比べて小規模であったと考えられていますが、他の宿と同様、人と馬の提供による輸送を行い、南の小松と北の今津を結ぶ陸運の便を図る役目を担っていました。

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●馬方又左衛門(うまかたまたざえもん)の逸話

川原市にはこの役目を担った馬方の一人である馬方又左衛門の、次のような逸話が残っています。

加賀の飛脚が、京都の屋敷まで大金を届けるため北国海道を旅していました。川原市で馬を乗り継いだ際に鞍に財布を忘れてしまい、和邇(わに)の宿で途方に暮れていたところ、川原市の馬方が和邇まで財布を届けてくれました。飛脚は大層感謝しましたが、馬方はお礼も断り、「せめてこれだけは受け取ってほしい」、と飛脚が渡した少額の金子もその場で酒と肴に換え、宿の者も交えて酒を酌み交わしたと伝わります。

この馬方の行いは、中江藤樹の「親には孝行せよ、嘘はつくな、人の物はとるな」という教えに基づいたものであった、と言われています。

この話に登場する馬方は、名を中西又左衛門(なかにしまたざえもん)といい、川原市にある又左衛門の屋敷跡には、藤樹学の権威として知られた西晋一郎(にししんいちろう)氏の揮毫(きごう)によって建てられた石碑が立っています。

●川原市の一里塚(いちりづか)

また、川原市には街道の名残として、一里塚跡が残っています。

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一里塚とはその名のとおり一里(約4㎞)ごとに置かれた塚で、古くから旅人の道しるべとなって人々の往来を見守ってきました。『高島郡誌』によれば、市内では、木津や海津など七か所に一里塚があったと伝わりますが、そのうちの一つである川原市の一里塚は、平成18年(2006年)に市の指定文化財に指定され、当時の面影を今に伝えています。

出典:広報たかしま 平成28年10月号

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