高島市に春を告げる 川上祭(かわかみまつり)
毎年4月18日に、今津町酒波(さなみ)の日置(ひおき)神社、北仰(きとげ)の津野(つの)神社両社の春の祭礼である川上祭が行なわれます。氏子の対象範囲はかつて川上庄(かわかみしょう)と呼ばれた現在の今津町北部からマキノ町の一部に広がっていて、市内の春の祭礼の中では比較的祭礼日が早いことから、高島市に春を告げる祭りとして紹介されることもよくあります。
●はじまりはいつから?
川上祭がいつから始まったのか、それを明確に記す資料は今のところ見つかっていません。ただ、江戸時代に記された「大江保記録写(おおえほうつし)」(『日置神社文書』)には、岩剣社(いわつるぎしゃ/日置神社)の祭礼が、平安時代の長暦(ちょうりゃく)3年(1039年)4月に行なわれたという記載があります。また、他の古文書によると天文3年(1534年)に川上庄内の村を5つの組に分けて、祭りの当番を順番に回すことになったといい、この時に5つの組分けと、祭礼の作法等が改めて定められています。こうしたことから、川上祭は平安時代に始まり、室町時代には、現在の祭りの組織につながる組分けが確立され、祭りが運営されていたのではないかと推測できます。
また、時代は下がりますが、祭礼の内容を記した資料としては、大正時代ころに書かれたと思われる「津野神社祭礼沿革誌」(『津野神社文書』)などが残されています。これによると、祭礼日は上(かみ)の宮(日置神社)は4月初午(はつうま)の日、下(しも)の宮(津野神社)は4月初申(はつさる)の日、というように日干支によって定められていましたが、明治5年に干支による決定を廃止し、上の宮は4月21日、下の宮は23日が例祭日となりました。さらにその後、大正2年(1913年)に、両社あわせての祭礼が18日になり現在に至っています。
「津野神社祭礼沿革誌」によると、明治時代には、神輿渡御(みこしとぎょ)の行列に天狗・剣鉾(けんぼこ)・扇子鉾(せんすぼこ)・獅子頭(ししがしら)が供奉(ぐぶ)し、馬場(ばんば/祭礼場)では、競馬や餅まきが行なわれていたとのことです。恐らく、現在よりもさらににぎやかな祭りであったことでしょう。
古式を伝えることで知られ、滋賀県選択無形民俗文化財である川上祭も、長年の間に徐々に祭礼日や行事の変容を受け入れ、現在の祭りの姿になってきたようです。
出典:広報たかしま 平成28年4月号